調子の悪いときに「目標」はつらい


闘病中の患者さんを追い詰めるものが「目標」だといったら、びっくりするでしょうか。

患者さんの調子のいいときには、確かに「目標」は励みになるのですが、調子の悪いときや自信を喪失しているときなどに「目標」を掲げられると、病人は追い詰められる気持ちになるものです。

私たちは、小さい頃から常に「日標」を掲げられて生きてきました。いい学校に入る。いい成績を取る。いい会社に入る。より高い地位に就く。より素晴らしい業績を残す。いつも、社会(家庭)に貢献できる人間でいる。よい人間と皆からいわれるようになる……。

実は、そんな社会のペースに足並みがそろえられなくなったとき、大きな病気にかかりやすいのです。

だから、病気をしているときほどゆっくり自分のペースで過ごしたいもの。

ところが残念なことに、病院で働いている医者も看護師も、「目標」に向かってがんばる生き方、周囲の人と足並みをそろえる生き方が正しいと教えられていますから、 ついつい病気の人にも「目標」を掲げてしまうのです。

「手術が終わって一週間も経ったら、とっくに歩けていいはずですょ」

「また食事を残していますね。もっと食べなきゃよくなりませんよ。全部食べられるまで、退院は無理ですね」

「歩行練習は毎日やらなければダメです。同室の人は、みんなやっているでしょう」

「こんなことで音をあげている人なんて誰もいませんよ。みんなができることなんですから、あなたにもできるはずです」

などなど。しかし、患者さんは患者さんなりにとてもがんばっています。

「せめて昨日より、 一歩だけでも歩こう」

「せめて、ひと口だけでも余分に食べよう」

なのに、主治医や看護師が考えている目標に達していないと、その努力は認めてもらえないばかりか、責められてしまいがち。

それまで、がんばり屋で病気などしたことがなく、弱音ひとっ吐かないで生きてきた人であればあるほど、こんなとき情けなくて、みじめに感じるに違いありません。

そして、自分でも

「やっぱり、私にはできないんだ。他の人みたいに立派にはなれない。こんな情けない自分がいやだ。生きていてもしようがない―」

と自身を責めはじめてしまいます。そうなると、ますます追い詰められた気分になって、日標に近づくどころではなくなってしまうでしょう。

そして、本人が落ち込みだすと、そばにいる家族もつらくなってきます。そこで、なんとか励まそうとい家族も医療スタッフと一緒になって、「がんばれ」コールをしてしまう、すると本人はもっと落ち込む、という悪循環に入ってしまいます。