上手に癌の見舞いを断る


本人の性格にもよりますが、がん患者さんの多くは病状が進むにつれて、面会をいやがるようになることが多いようです。実は、「見舞い」は患者さんにとってひどく気をつかうものなのです。

末期になると、がん患者さんの中には、痛みや呼吸困難感を訴えることがあります。

また、そういったつらい症状はなくても、全身のだるい感じはほとんどの方に出やすいもの。こんな状態では、人と話をするだけでもかなりの体力を使います。

そんなとき、家族になら、「しゃべりたくないから黙っていて」と言えても、わざわざ見舞いに来てくれた方には、なかなかそうは言えません。

それに、面変わりして痩せてしまった姿を他人に見せるのは、本人も家族もつらいものです。

しかし、親しい関係にあった人の側から見れば、見舞いに行けないのは身を切られるようにつらいことでしょう。

ましてや、病人の命があとわずかと聞けば、「なんとしてでも生きているうちに一日、顔だけでも見たい」と思うのが人情です。

こんなとき、家族としては、「友人にも本人にも、悔いが残らないよう、会わせてあげたい」という気持ちはあるのですが、その一方で、「苦しんでいる病人を、健康な人の都合で苦しめたくない」という思いもあって、気持ちの板挟みで悩まれることが少なくありません。

ご家族から、「面会を申し込まれているのですが、どうしたらいいでしょう」とご相談を受けたとき、まだホスピスに勤めていなかった頃は、「残される方に後悔が残ると、後々まで恨まれることもありますから、早いうちに、なんとか理由をつけて会わせたらいかがですか」と答えていました。

しかし、ホスピスに勤め始めてからは、「本人に負担にならない程度に会わせたらいかがでしょうか。見舞いがきついようなら、お顔だけ見て帰ってもらえるように医療サイドで取り計らいます」と言って、極力見舞いが負担にならないよう、気を配るようになりました。

それでも、私自身が母を看取ってからは、「やっぱり、患者さんにとって、見舞いはきついのでは」と思うようになりました。

今では、ご家族から「近所の人が見舞いに来たがるのですが、会わせたくないんです」と言われると、ついつい「そうですよね。見舞いを断るのって、つらいですよね」と力を込めて話してしまいます。

とはいえ、残される人々に「見舞いに行けなかった」ア本わせてやれなかった」というつらい思いが一生残るのも、またやるせないものがあります。

ふたつのまったく違う考え方があるとき、どちらにも納得できるようにまとめることはむずかしいものです。どこを妥協点としたらいいのかは、きっと、ご家族によって違うのでしょう。

ただ、もし見舞いを希望される方がお親しい方ならば、こんなふうに話してご協力を求めるのはどうでしょうか。

「本人が『痩せた姿を見せたくない。みじめな姿が大切な人たちの心に残るのがつらいの。大切な人には元気な私の姿だけを覚えていてほしい』と言ってるんです。

それに、見舞い客の前で、無理をして元気に振る舞って、あとで具合悪くなる姿を見るのが私もつらくて……。

「あなたにとっては会えないことはとてもつらいことだと思いますが、そのつらさをあなたが引き受けてくださることで、本人のつらさが和らぎ、病を分かち合い、私たちを支えることになります。つらい役目をお願いして申し訳ありませんが、私たちを蔭から支えていただけませんか」

直接手助けすることより、「遠くから見守ること」のほうが強い手助けになることがあります。

そして、自分がつらさを引き受けることで「相手の望む道」をサポートすることが、「相手の大変さを分かち合うこと」になることもあるのです。

患者さんのことを大切に思う方ならば、きっとわかつてくださることでしょう。

それでも、どうしても「見舞いは断りたいが、どうしても断り切れない見舞客をうまくやりすごす」には、こんな方法はいかがでしょう。ちょっと姑息な手ですが。

「わざと、見舞いの時間を検査の時間とかちあわせる」「その日だけ外泊する」「寝たふりをする」「医療者とあらかじめ打ち合わせておいて、何かサインを送ったら、処置の時間ですといって看護師に来てもらって客を帰す」……。

本人の意向と体力を最優先して、賢く見舞い客とつき合ってください。